密教の仏様の中に「仏眼仏母(ぶつげんぶつも)」という仏様がいらっしゃいます。
胎蔵曼荼羅の上の方に描かれている仏様です。
仏眼仏母様は、歴史上有名な僧侶も熱烈に信仰していたといわれます。
密教僧侶は、仏眼仏母様の印を結んだり、真言を唱える機会が多くあります。
あらゆるものの「本質」を見極めるお力に優れています。
物事の本質を見る、つまり「正見」ということは、物事の理解(智慧)のためには必須条件です。
理解が進めば、それについては過ちを犯すことがない。
正しい行いに繋がっていきます。
仏教的に言えば「悟り」に近づくことが出来る。
そのお力が神(仏)格化したのが、この仏様。
「正見」は悟りの道の原点です。
つまり、悟りを生み出す元になる。
「生み出す元=母体」ということです。
母親という意味ではなく「出発点」という意味に近いのかと。
しかし、「正見」により、悟りの心が育てられる、ということも合わさって「母」のイメージが強くなっていきます。
「母」という文字面から、「すべての仏様の母である」という誤解をしている方が多い。
そういう意味の「母」ではない。
諸説はありますが、仏様は何かから生まれる訳ではありません。
因みに、先述の僧侶は、それらを分かっていた上で、この仏様に「母」としての憧れ(?)を持っていたそうです。
日々、何度も「母御前(ははごぜん)」と話し掛けていたとのこと。
分かっていた上で、というところが重要です。