真言宗 共生庵

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良い兆し

拝んでいて、まったくご利益を得れてないことがあります。

 

ここ最近、そういう事例が続きました。

 

死者の供養や葬儀は行っていても「気配」や「イメージ」などは感じています。

それをご遺族に伝えると「そうそう。確かにそんな感じ」と言ってくださるので、その感覚に間違いはないのだろうと思っています。

 

しかし、祈祷に関しては「あ、これはご利益があるかも?」と、仏様からの「気配」を感じても、施主様からご利益のお報せがない。

 

自信を持っていた訳ではありませんが、心が折れそうになります。

やはり密教僧としては「祈祷力」はかなり重要。

 

「すぐにご利益が現れなくても焦らなくて良い」と過去の偉大な僧侶たちは語ります。

しかし、中にはすぐに結果を出している今を生きている僧侶が何人もいます。

 

その方々は私より20年以上のキャリアがあるので、本来比較してはいけないレベルではあります。

 

(そもそも比較している時点で、自身の修行不足を露呈しているのですが…)

 

その中に「今弘法」と言われるほどの方がいます。

その方が魂を込めた仏像を授かった僧侶は、その仏像を拝んで僅かな期間で様々な方に「ご利益」を授けているとのこと。

 

何百年と拝まれたレベルの仏像と遜色ない力があるようです。

勿論、その拝んだ僧侶も尊敬出来る程努力しています。

 

しかし、やはり比較してしまい、自分の信仰心に自信がなくなります。

 

それでも瞑想し、拝む日々を繰り返す。

 

先日「共生庵さんの馬頭観音様の御札、めちゃくちゃエネルギーありますね」と、感覚が敏感な方から言ってもらえました。

 

これは、ようやくなかなか開かなかった扉が開きそうなのかも。

良い兆しに安堵しています。