供養の場では、唱えられなくてもいいからお経本を開いて「読んで」頂いてます。
声に出せるなら尚良いのですが、なかなかお経を唱えられる方は少ない。
やっぱり、亡くなられた方々にとっての「いつもの声」を聞いてもらいたい。
声に出なくても、心で唱えればきっと届きます。
普段からお経は聞かせて欲しい。
声に出さなくてもいいから、心で。
それだけで、次の「輪廻」に対して、大きな良い影響をもたらします。
供養の場では、唱えられなくてもいいからお経本を開いて「読んで」頂いてます。
声に出せるなら尚良いのですが、なかなかお経を唱えられる方は少ない。
やっぱり、亡くなられた方々にとっての「いつもの声」を聞いてもらいたい。
声に出なくても、心で唱えればきっと届きます。
普段からお経は聞かせて欲しい。
声に出さなくてもいいから、心で。
それだけで、次の「輪廻」に対して、大きな良い影響をもたらします。
ご祈祷は「お伺いを立てる」ようなもの。
基本的には、叶えるかどうかは仏様の可否によります。
ご祈祷をするとき、実は僧侶たちは、誓いを立てて執行しています。
簡単に言えば「自分が祈るのは、すべての存在を幸せにして仏道に導くため」という内容の誓いです。
祈願する内容は、すべてこの「誓い」にハマるものでなければならない。
そうでないと、「誓いを破る」ことになるため、叶うことはありません。
それどころか、誓いを破る「ペナルティ」が発生します。
祈ることにより、誰かに「不幸」が起こるなら、それは絶対に叶わない。
更に、誓いを破ったペナルティとして、とんでもない代償を払います。
査定は結構厳しい。
お取次ぎするのにもコツがあります。
「こういう願いなので、叶えてもらえれば沢山の人たちにとって、とても良い結果に繋がりますよ!」のように、その祈願が、いかに「誓い」にハマるものかを「アピール」するのです。
プレゼン能力といえば分かり易いかもしれません。
これは、皆様が寺社仏閣で祈るときも同じです。
自分の幸せだけでなく、その祈願が叶えられることで、いかに沢山の人たちにとっての幸せに繋がるかアピールしてみてください。
きっと、叶いやすくなると思います。
今日はお地蔵様の御縁日。
朝一番に、本尊の馬頭観音様を拝んだあとに、お地蔵様を拝みました。
本日は、別のお寺にお手伝いに行く予定があったので、昨日のうちに丁寧に拝んでいます。
なので、本日は略法でご容赦頂きました。
この度、お地蔵様にご祈願したいという方がいらっしゃったので、地蔵法にてご祈祷しました。
夢枕にお地蔵様が立つとのこと。
羨ましいことです。
今のところ、それで何か起こったなどはないそうです。
もしかしたら、気付いてないだけで何かは起こっているのかもしれません。
目に見えて、分かり易いだけがご利益ではないのです。
分かりにくいご利益は、ままあります。
むしろ、その方が多いのかもしれません。
祈って、お願いしたら、必ず何かは起こっています。
それに気付くか、気付かないかは施主様次第。
気付けるのも、ある意味「ご利益」かもしれません。
修行道場の同期たちと話していました。
彼らは、関西にある大寺院で勤めていますが、そこは祈祷がメインのお寺。
また、他にも観光地のお寺に勤めている者も。
物価高や、参拝者の激減等の理由から、祈祷料の値上りがあるようです。
本山や大寺院といえど、台所はどこも厳しい。
観光寺は、外国人参拝者で忙しいとのこと。
案内や事務仕事ばかりで、拝むことはないそうです。
「僧侶として勤めている気がしない」と愚痴っていました。
その気持ちはとてもわかります。
私も高野山を下りてからは、祈祷メインの真言宗の本山に長く勤めていました。
長くいると、任される仕事も運営の事が多くなり、気が付けば、人や仏様よりもパソコンと向き合ってる時間が多くなります。
私も「こんなことする為に僧侶になったんじゃないのになぁ…」と思いながらキーボードを打っていました。
なので、ご祈祷で登壇するときは、ようやく本分としての勤めが出来るとテンションが上がったものです。
ちょっと良い香木など用意して、自分が登壇するときには焚いていました。
「今、参拝に来た方はラッキー」といわんばかりに特別な香り。
今思えば、抑圧から解き放たれた反動といいますか…完全な若気の至りではあります。
気持ちは理解出来ますが。
動物の体調不良は、見ていてとてもツラいものです。
互いに分かる言葉でコミュニケーションが取れないために、「今どんな感じ?」については、推測する以外に術がありません。
体調が悪いことを、表情や行動で教えてくれる子ならある程度は分かり易い。
しかし、表情に出ない子や、ギリギリまで我慢する子もいます。
以前にご祈祷した「鳥」が、再び「怪しい状態」とのこと。
首を振って、吐き戻す行動があるそうですが、ひとまずは様子を見るしかないようです。
原因もハッキリせず、表情では体調が読めないと仰います。
健康回復の祈願をお取次ぎ致しました。
どうか、平穏な時間を長く過ごせますように。
当庵では、お布施について、ベースとなる金額をお示ししています。
「お気持ちに応じて」としていると、「困ります」とのご意見が続いたためです。
色々なお寺や、神社のお布施(祈祷料や供養料など)を鑑みて、それにある程度寄せています。
「そんなに安くていいんですか!」と言われますが、あくまでベースというか…相場としての金額です。
「絶対叶えたい」と思うなら、その分喜捨するのだとお考え頂いたらと思います。
当庵ではご祈祷も、ご供養も「一体につき3500円」がベース。
拝む期間を増やしたり、お気持ちに応じて「5000円」または「10000円」などお納め頂きます。
この辺は、話し合いというか…。
決まっているようで決まっていないのが実情です。