功徳の力と、如来の力と、行者(僧侶)の法力が揃って色々な作用が起こるのが密教の修法。
祈祷や供養もこの3つが重要。
如来の力はこの世の理そのものの持つ力なので、常に莫大な量が見えないだけで眼の前にあります。
功徳は行者のものと、祈願主のものとがあります。
これは常に一定ではなく、パワーアップを図れるものです。
例えば日々の参拝も、善行も、掃除も、全て徳を積める行為。
やればやるほどパワーアップします。
功徳を積んで「功徳力」が無いと、祈願は殆ど効果を為さない。
これは行者も同じく。
行者は功徳の力を法力に換えて仏様と感応します。
つまり、ベースになってるのは功徳の力。
とても大切です。
以前にも書きましたが、善行は意外に難しい。
「良い行いをして徳を積もう」とか、「良い事をすれば見返りがあるかも」などの「下心」が出てきます。
はじめはそれで仕方ない。
やってる内に「当たり前の行動」になればいい。
長い時間がかかると思いますが、とにかく反復するだけです。
意味がないのでは…と、迷うことも出てくるでしょうが、必ず良い結果に繋がると私は断言します。