以前、どうしても祈祷の効果が現れないと法友から相談があり、共に手分けして様々な法を祈ったことがあります。
結果として、験が現れない原因が特定出来ました。
その方は、祈願ばかりして「滅罪」をしていなかったことが原因でした。
「滅罪」のためのアドバイスをして、実行してもらうことで、ようやく験が現れました。
この施主様の業は相当重たい。
恐らく一生に渡って懺悔し、滅罪の為の勤めを行わないと天秤が釣り合いません。
残念ながら施主様、途中でしんどくなったのか、滅罪をサボってしまいました。
結果として、とんでもない事がその身に降り掛かったそうです。
滅罪は、一番簡単な表現で言うならば「ボランティア活動」という感じ。
自分のために、あらゆるものを「使わない」というイメージ。
時間、お金、手間、苦労など、全て他者の為に使い、行なう。
死者の供養などは滅罪の最もたるもの。
自分の関係者だけでなく、見ず知らずの霊感に供養を施すのは、とても優れた滅罪の力を持っています。
ただ、それが「義務」になってしまうと、気持ちが続かない。
それを乗り越えて、やり続けることが出来れば気持ちも楽になれるのですが、なかなか難しいことでもあります。
当該の施主様は、挫けてしまったのです。
そのため、若い時から積み上げた業による「障り」が降り掛かってしまいました。
どんなに小さなことでも、必ず返ってきてしまう。
恐ろしいことです。
「嘘も方便。でも、必ず返ってくる。」と、ある方が言っていました。
「嘘も方便」は「嘘をついても構わない」ではないのです。