真言密教の僧侶として、仏様を拝むことは毎日の「当たり前」の1つです。
修行僧として、高野山の道場に入ったときに「僧侶は仏様と向き合って座るが、その場にいる檀家や信者は、僧侶の後ろ姿を見ている。その姿が『説法』でなければいけない」と言われたことを覚えています。
これは強く同意します。
姿勢が悪い、服が汚い。
頭髪やヒゲなどの不整容。
見た目は、その人の人となりが現れます。
僧侶としてまだまだ未熟だからこそ、そういうところから気を付けないといけません。
全身全霊でお経を唱えて、色んな良い力を感じて頂く。
背中で説法出来るようになれば、その場にいる人たちが「置いてけぼり」になることもありません。
周りの人に良い影響を及ぼすのが、大乗仏教である密教の力です。
自己満足のお経は、お経の力も半減します。
自己の修行だけでなく、他の存在の為に祈るのも大切な本分です