真言宗 共生庵

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危機感

コロナの脅威が再び拡大しています。

 

街中では、マスクをしてない人もある程度増えてきていますが、マスク着用率はやはり高い。

 

我々僧侶も、人前での読経の際にはマスク着用で唱えるのが当たり前となっています。

 

コロナが流行りだしたときには、マスク着用での読経には大変苦しみました。

 

マスクが張り付いて、息継ぎが出来ない。

また、唾液が多く出てきてしまい、読経が途切れがちになってしまう。

 

それにも慣れて、今やあってもなくても同じように唱えられます。

継続するとは大事なことなんだと、こういうのからも実感します。

 

コロナ禍を経て、お寺の業界も色々な変化がありました。

簡単にいうと、お寺から足が遠のいたというのが一番の変化です。

一度「コロナなので、お参りは今回やめときます」となると、そのままの流れで「しばらくやめてたので、もういいかな」となってしまうようです。

 

それは、私も含めて、僧侶たちがちゃんと法を説いて、途切れない信仰を人々に呼び起こすことが出来なかった結果でもあります。

悲しいかな、それが今の密教

何とかしなければ、すぐに廃れて無くなってしまいます。

現に、密教が滅んだ国は存在しています。

 

AIやドローン、アンドロイドなど現代的技術を用いて努力しているお寺もあるとか。

しかし、そこから先に繋がらなければ意味がない。

ただの客寄せになっているだけなら、単なる営業です。

 

現代に適応する為、最新技術を使うのは理解はします。

けど、やっぱりそこから布教に繋がるかどうかが大事ではないかと。

 

日常生活の「困った」に対して、仏様の説かれた生きる知恵や苦しみから抜ける知恵など、臨床の場でどれだけ伝えられるかだと思います。

 

場所は道端でも、お寺でも、ご自宅でも、講演会でも、雑誌や本などでも、なんでもいいからとにかく伝えていかないと。

 

残された時間は少ないと、危機感を持ってやらないと手遅れになってしまうと思っています。