昨日は、姿形によって験の出易さが変わるか云々の話を書きました。
個人的には、姿形によって違いは無いと考えています。
ただし、それには条件があります。
当然ですが、ルールに従った姿形かどうか。
好き勝手なマスコット的なデザインの仏像は「仏様」には成り得ません。
仏像には以前にも書いたように、細部に渡るまでルールがあります。
どちらの手が上がってる、下がってる、印はどうなってるとか、シワの数、持ち物、手の組み方や顔の向きなどなど…。
それらを踏まえて、仏師が適切に作成して、初めて「仏像」として成立します。
そうでないなら、単なるフィギュアでしかありません。
御守り以下の物ですし、インテリアにしかならない。
ちゃんとした仏像を安置したいなら、ルールを分かっておく必要があります。
ただ、厄介なのは、仏様の尊像には「複数の説」が存在していること。
例えば、馬頭観音様。
立像、坐像。
怒った表情、観音様のような穏やかな顔。
人相(頭部が人)、馬相(頭部が馬)。
持ち物。
印。
腕の数。
足の向き。
これらすべてに、「複数説あり」となっています。
とどのつまり、「正解は1つではない」ということ。
それは密教の良いところでもあるのですが、なかなか厄介なところでもあります。