密教は、器の大きさに応じて教えを授けます。
大きな器には密度の濃い教え。
小さな器には密度を少し薄くした教え。
今日は、お経の意味や作法の内容について色々質問を受けました。
僧侶ではなく一般の方でしたので、伝え方に苦労しました。
真言僧侶が持つ知識をそのままお教えする訳にはいきません。
それは「法」を越えてしまう「越法罪(おっぽうざい)」に当たります。
しかし、「それはお答えできません」と一蹴するのは、あまりにも愛想がない。
薄く、表面を攫う程度に話しました。
それでも楽しんで聞いてくださったようで、喜んでいただけたようです。
「興味はあるけど、僧侶とゆっくり話せる機会はあまりない」とのこと。
そうだろうなぁ、と思いつつ、それほど世間が宗教から離れていってしまっているということなのだとも感じました。
これについては、原因は宗教サイドにもあると思います。
それは過去の記事にも書いてますが、1つには僧侶の怠慢もあると考えています。
今回、質問は若い年の方がしてくださいました。
興味を持ってくださることが嬉しい。
そこからスタートして、信仰心に繋がれば有難いです。