先日、お世話になっている先輩僧侶と色々お話しました。
最近の法要の中には「次第」のないようなものもあると。
「次第」とはいわば、拝むときの手順書やマニュアルのようなものです。
真言や手印などが書かれています。
次第は儀軌(ぎき→ルールブックのようなもの)に則って編纂されます。
つまり、儀軌に無いものは作れません。
勝手に作るのと、それはもう密教ではなく違う宗教となってしまいます。
しかし、儀軌が書かれた時代には無かったが習慣や風習が現代にはあり、そこに祈りが必要なものもあります。
例えば「納骨」。
昔から火葬はありましたが、一般的ではありませんでした。
主に土葬だったのですが、明治に火葬が定着しました。
お墓に納骨、というのは比較的近年のため儀軌にその作法はありません。
墓地の移転や新墓などに関わるものはあるのですが…。
また、動物の供養もその類いです。
儀軌にはありません。
無いから出来ないという結論は乱暴です。
時代に合わせて、創意工夫しニーズに応えられるように努力する必要があります。
前述の内容と矛盾しないよう、加えて言いますが「作る」訳ではありません。
元々ある別の次第で、「ここの部分だけ抜き出したらアレになるんでは?」というような感じです。
それをまた検証し、他の僧侶や師匠などに確認して煮詰めていきます。
儀軌にないので、読経のみになりがちなこれらの作法。
それが無意味とは言いません。
間違いなく、きちんと結果に反映されます。
しかし、ちゃんと研究・検証することで、もっと良い結果がもたらされるようになります。
日々、悩んで研究して検証の繰り返しです。