仏教は「愛」を否定すると言われます。
私は密教僧ですが、これには少し懐疑的な立場です。
お釈迦様が仰る「愛を捨てなさい」は「愛執しない」という意味ではないかと考えています。
愛するものに心を囚われてしまうと、思うようにいかないなどの苦しみを生み出す。
なので、「愛執に囚われてはいけない」ということです。
これは感情たっぷりの「渇愛」という状態。
お釈迦様はこれを「持つべきではない。何故なら苦しみを生み出すから。」と説いています。
「愛を捨てよ」という、ピンポイントで「ラブ」を否定しているのではありません。
お釈迦様は、「愛」の裏側にある危険性を説いているのであり、「執着して呑まれてはいけない」と仰っているのだと私は考えています。
慈悲という仏教用語には「愛」という意味が含まれているのではないかと思います。
実際「慈しむ」はその概念を含んだ言葉です。
サンスクリット語で「慈」は「人々に楽を与える」という意味があり、「悲」は「苦しみを除く」という意味を持ちます。
また、その行為は「単なる優しさや同情ではなく、見返りを求めない」というもの。
つまり「慈悲」は、積極的な「誰かを助けたい」という博愛の精神を指してるとも言えます。
子を愛するもの親の気持ちや、親に対しての愛、パートナーなどへの愛、動物たちへの愛、万物に向けられる愛、沢山の愛があります。
これらが慈悲に成り得るのかと考えています。
お釈迦様は、鬼子母神が人の子をさらって食べてしまうため「親の、子に対する愛」について説かれ改心させています。
そういったこともあり、「愛」自体を否定しているのではないのだと私は考えます。
私の法話にも「愛」という言葉は時々入ります。
それも、この考えがあるため使っています。