仏様のご利益について、そればかりを説くのは正しい説法ではありません。
僧侶は、それは「方便」にしかならないと理解する必要があります。
説法の目的(ゴール)は、ざっくり言うととにかく「みんなの幸せ」を目指すことです。
そこにたどり着く為に、対象者に応じて様々な方法を取ります。
いきなり本質を説くことはしません。
その為に使うのが方便です。
ご利益の紹介はあくまでも、方便の1つなのです。
「とにかく手を合わせて、拝んだらいいよ。きっと良いことあるから。」
「ご利益あったら、次はこうしたらいいよ。」
「次は、深くまで突き詰めたら感覚が変わるよ。」
など、順番に深めていきます。
そうやって、それぞれの道筋で幸せにたどり着けるようにしていきます。
お釈迦様はそのために「あらゆる苦しみから抜けること」を示されました。
それは、いわゆる「真理に行きつく」ということです。
とはいえ、誰もが真理に行きつける訳でもなく、今生で行けるかも分かりません。
大概は無理です。
そこで、お釈迦様は誰でも行けるように修行方法を確立させました。
後に弘法大師空海により、より具体化されマニュアル化されましたが、依然として難易度は高い。
それは僧侶であっても同じく困難な道です。
今生で真理に触れられる人は、果たしているのか…。
そのレベルです。
なので来世に向けて、少しでも功徳を積み立てていきます。
お釈迦様もそうやって、何度も生まれ変わりを繰り返して真理にたどり着きました。
無駄なことは1つもありません。
いつかたどり着けば良い。
そのために、今どう生きるか。
僧侶は何をどう説いていくか。
とても重要な役割です。