密教の仏様はとにかく種類が多い。
菩薩の数は、それこそ無数に存在していらっしゃいます。
しかし、それはすべて大日如来の変化身。
元々は1つの存在です。
これこそが密教の良いところです。
あらゆる存在を排除せず、「繋がり」があると考えています。
大日如来は「真理」そのもの。
本来は姿も形もありません。
概念という言葉すら、そこには存在しない。
だからこそすべてを内包しています。
内包しているものを、1つ1つ細かく見ていくと「あ、これもあるよね」と、細分化されていきます。
それを神格化したのが、それぞれの仏様です。
例えば…真理の中の、ある1つの働きを神格化したのが「馬頭観音様」。
また別の働きを神格化したら「地蔵菩薩様」となる。
逆に細分化したものを、共通項で括っていくと、最終的に1つになります。
最終的に1つになったものは、「真理」であり大日如来。
「全は1、1は全」ということになります。
宗教に留まらず、色んなジャンルに当てはまる言葉です。
お釈迦様が「気付いた真理」は、今に至るまで、時を経る度に「新たな発見」を繰り返してきました。
きっとまだ最終形態ではないのでしょう。
まだまだ進化の途上にいます。