お釈迦様は「悪友とは付き合わず、良い友と付き合いなさい」と説きました。
また、それに付け加えて「もしそういう友がいないなら、一人で頑張れ」とも言いました。
昨日、本音を語るという事について書きました。
そういう本音で語り合える関係性が築けたなら、それはとても素晴らしい。
しかし、誰もが自分の期待に応える為に生きている訳ではないですし、自分も誰かの期待に応える為に生きている訳ではありません。
だから、本音で語り合える関係性が築けなかったからといっても悲観する必要も、孤独になる必要もありません。
お釈迦様のおっしゃる「一人で頑張れ」は、「孤独で頑張れ」ではありません。
芯を強く持つことを説かれたのです。
芯とは「美学」であり「信念」。
そのためには正しい規範が必要。
規範なき信念は「迷信」でしかありません。
規範とは「法」です。
それは「真理」とも言い換えが可能です。
芯を強く持てるなら、常に「真理」が側にいる。
常に側に何かがあるなら、それは孤独ということにはなりません。
四国遍路でよく使われる「同行二人」とは、常に隣に弘法大師空海がいてくれているということを示しています。
その存在が表すのは、良き友でもあり、真理でもあります。