真言宗 共生庵

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自己犠牲の利他

元々の仏教は、とことん自己の悟りを目指すのみを目的とした宗教でした。

ひたすら瞑想などの仏道修行を行い、二度と輪廻をしない涅槃を目指しました。

 

大乗仏教はそこから少し流れを変えて「利他」というものを重んじるようになりました。

現代の日本の仏教は大乗仏教にあたります。

 

修行のあり方として、誰かの為に善行を積むことが賞賛されます。

 

私自身もそれは正しいことの1つだと考えていますが、やはり自己犠牲の精神は時に誰かを強く傷付けるものでもあるので「絶対的正解」ではないと思います。

 

自分が犠牲になることで、悲しむ存在がいるならそれは本当に「利他」なのだろうか。

結局のところ「自己満足のための自己犠牲」になってるのではないかと思います。

 

一般企業で働いているときは、「自分は自分を犠牲にして良い事をしてる」という陶酔と、自己承認欲求を満たしたいだけの人もよく見掛けていました。

 

それは良い事をしているのでしょうが、大変滑稽に見えていました。

バランスが取れてないと、何処かに迷惑がかかります。

 

そういうバランス感覚もとても大切です。

 

お釈迦様曰く、善行は息を吸う如くでないと意味がないそうです。

その通りだと思います。