僧侶は、街中に出てからが本当の修行と言われます。
山の中で一人で仙人のように過ごして、ひたすらに修行に打ち込むのは自分のための行(ぎょう→修行の意味です)です。
大乗仏教は、他の人に対して利をもたらすのが本分になります。
自分のために祈るだけではなく、人の為に祈らないといけません。
しかし、その過程で、道を踏み外してしまう僧侶もいます。
いわゆる「商業的」になってしまう。
現代社会では、生活するためにはお金は必要です。
しかし、求めて得るようになってしまっては「職業」になってしまいます。
僧侶とは「生き方」と言われます。
本来は、仕事でも職業でもありません。
「手の上にお布施が乗らないお経が、一番徳がある」と仰った老僧がいらっしゃいました。
お金に囚われることがないようにという戒めです。
私は、決して清貧が美徳とは思いません。
勿論、欲張るのも違う。
この辺りのバランス感覚が、とても大事だと思います。