信じるということはとても大切で、それによって様々な良い作用がもたらされます。
しかし、同じように大切なのは疑うことだとも思います。
原始仏教とは、やや方向性が異なる宗旨です。
お釈迦様はそんなこと言ってないのに…というように違和感を感じることもあるかもしれません。
だからといって、すぐに「じゃ、やっぱり真言宗は信じられない。だって仏教じゃないもん!」は少し乱暴です。
そして、「いやいや、弘法大師空海が言うのだから間違いない」と妄信するのも乱暴だと思います。
決め付けるのではなく、疑うべきです。
ただ信じることは「思考停止」と同義ではないでしょうか。
疑って、調べて、話を聞いて。
手を尽くして納得出来る根拠を探します。
それが科学でもスピリチュアルでも、自らの感動など、感情でも何でも良いと思います。
依存ではなく、納得。
それが、信じるという「種」となります。
私も疑いながら修行を進めていました。
そして、納得し、今に至ります。