真言宗 共生庵

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一段下がる

月命日のお参りや、お盆のお参りに行くと、僧侶を大切に扱ってくださる方が沢山いらっしゃいます。

 

床の間や仏間に通して頂くに当たり、とても丁寧。

拝む前にお茶をお出しくださり、終わってからもお菓子とともに新たに煎れ直してくださったお茶をくださいます。

 

「冷たいのばかりだと、お腹に貯まるでしょう。温かいのを用意しました。」

なんという、先を見越したおもてなし。

 

はるかに歳下の私にも、とてもへりくだってお話されます。

 

僅かな滞在時間に、おびただしいほどの気遣い。

とても有難いことで恐縮します。

 

我々の業界の話ですが、1日でも早くお坊さんになったら、歳下であっても先輩となります。

 

その人には、敬語で話すのが僧侶の当たり前で、そういう上下関係がはっきりしています。

 

その分勘違いが生まれやすい。

自分がとても「偉くなった」と錯覚してしまいます。

また、檀家の皆様や、信者の皆様もとても大切に扱ってくださるので、ますます立場が分からなくなっていきます。

 

自分が「偉い」わけではありません。

お釈迦様や弘法大師空海など、偉大な先師たちが伝えた仏様の教えが尊いのです。

 

それを実践し、皆様が出来ないことをしてる我々に尊敬の念を抱き、大切にしてくださることは更に尊い

 

だからこそ、僧侶は一段下がって人と接するべきだと感じます。

 

人よりも一段下がって物事を行うことを「下座(げざ)」といいます。

どれだけ歳を重ねても、どれだけ行を積んでも偉ぶらず、人より一段下がった場所にいることが大切であるという教えです。

 

常に心掛けていきたい教えの1つです。