先日、座禅を指導した方から
「空海さんは、絶対にこうでないといけない!って、決め付けていない印象があって、そういう所がとても好きです。」と言われました。
仰る通りかと思います。
それは、弘法大師空海が、中国より持ち帰った曼荼羅にも示されていると思います。
胎蔵(たいぞう)曼荼羅には多くの仏様が描かれています。
それぞれの仏様が、役割と価値観を持って曼荼羅の世界にいらっしゃいます。
胎蔵曼荼羅の一番外側には、鬼神や虫、死体など、何も知らずに見たら、仏様なのかどうかも分からないものも存在します。
そこに描かれているすべての存在は、価値があり、何かしらの役割りがある。
無用だと決めつけて、排斥するようなことはなく、すべてを大切に「必要なものであると認めている」のです。
弘法大師空海の伝えた密教には、「核」となる、揺るぎ無く、絶対捻じ曲げてはならない教えがあると同時に、「そういう解釈もあるよね」のように、否定せず受け入れてくれるような柔軟さを持っています。
そういう懐の深さが、今日まで続く信仰に繋がるのだと思います。