密教には様々な仏様がいらっしゃいます。
その仏様を拝むためには、必ず「伝授」を受けなければなりません。
また、色んな「技」もあります。
病気平癒とか、厄払いとか、そういう技です。
これも、伝授を受ける必要があります。
印(いん)が分かっているから、また、次第(しだい→拝むための手順書のようなイメージ)が手元にあるからといって、伝授も受けないままに修してはいけないとされています。
そういう拝むための手順は、面授(めんじゅ→面と向かって授かること)で口伝(くでん)によって伝えられるのが基本。
販売されている次第を見たところで、中身は不完全な形で掲載されています。
その状態で修法したら、とんでもないしっぺ返しがあります。
それは、免許がないのに車を運転するようなもの。
どうなるかは簡単に想像出来ます。
中には「マニア」のような人もいます。
使わないのに、次第を買いまくる人や、伝授を受けまくる人。
知識欲があるのはとても良いことですが、ただ学ぶだけで実践しないなら意味がありません。
伝授を受けるには時間もかかる上に、お金もかなり高くつきます。
使わない技には何の意味もありません。
弘法大師空海も、1200年前の書状に「欲しがるだけで、実際に拝まないならそれは罪です」と、他の僧侶を戒める内容をしたためています。
学ぶならば、正しい手順を踏んで学ぶ。
学んだならば、実践する。
これはとても大切なことです。