密教の「密」は、秘密の「密」といわれます。
これは、個人的には半分正解と思っています。
そこには少し誤解があると考えています。
密教は、決して秘密主義ではないからです。
むしろ、オープン。
必要な人に、必要な分を説きます。
それは、お釈迦様が行っていた布教と変わりありません。
お釈迦様は、相手の器に応じて説法をしていました。
相手が確実に受け取れる分だけを説くやり方です。
器が大きくなれば、その分また説きます。
小学生に、大学レベルの学を説いても理解出来ません。
小、中、高と学を修めた人には相応しい内容ですが、小学生の時にいきなり学んでも理解は困難です。
小学生には、小学生でも理解出来る範囲と内容。
大学生には、大学生に相応しい範囲と内容。
対象に合わせるのです。
対象に合わせて濃度や密度を変えて、小出しにして法を説く宗教が密教なのです。
密度が濃い宗教だからこそ、対象に合わせた濃度でないと「毒」になり得る可能性があるのです。
薬で例えるならば、成人と同じ用量を子どもが服用したら命に関わるように、対象に合わせて適切な濃度に調整が必要なのです。
密教の「密」は、密度の「密」だと思います。