枕経は、通常は亡くなって間もなく行われます。
それだけに生々しい空気が漂います。
オカルトになってしまうかもしれませんが、やはり「念」のようなものを感じます。
後悔や無念、未練などが感じられる。
そういうときは決まって声が出にくくなります。
読経しててもかなり苦しい。
動物の供養では、そういう経験はありません。
動物霊が怖いとか、たちが悪いとか云々言いますが、そんなことはありません。
あくまで私の感覚ですが、とてもシンプルでスッキリしたものです。
人はやはり「知性の高さ(感情の複雑さ)」があるせいなのか、念などが残りやすいように感じます。
単に読経したり、印を結んで真言を唱えるだけでなく、対話しながら供養します。
未練や後悔の元になるものを探り、それらの解決を計る。
カウンセリングのようなイメージですね。
身体という「器」が無くなるだけで、魂は存在しているのでしょう。
実際に、そういう過程を踏むと「空気」が和らぎます。