調伏(ちょうぶく)、または降伏(ごうぶく)という法が密教にはあります。
悪いものをねじ伏せたり、押さえ付けたりして出てこないようにしたり、祓ったり。
「制圧」に近い言葉なのかもしれません。
しかし、それは一般的イメージです。
密教的には、そんな暴力的な意味ではありません。
浮かばれない亡者に対しても「成仏」を目指すのが密教の姿勢です。
祓ったり(狭い意味の調伏・降伏ですね)なんかしません。
存在を格上げして、良い存在に成ってもらうのです。
排除するのではなく、諭して更生させ、社会復帰してもらうイメージ。
その為に必要な価値観は「差別しない」ということ。
亡くなっていても、生きていても、どんな生き様だろうと、受け止めて認める。
善も悪もなく、ただ個々の存在として尊重する。
それは、極端に表現すると「愛」だと考えています。
調伏・降伏はその視点で行います。
ある意味では、平将門や菅原道真など「怨霊」とされる存在も、鎮魂を願って社を建てて、敬意をもって供養しているのも似たようなものだと思います。
恐れが先立つと、あまり意味がありません。
無条件の敬意です。
そうすると、怨霊ですらたちまちに福の神へと変貌します。
人間関係と同じくです。
自分を慕う人には、最大限力を貸すと思います。
自分を嫌う人には、わざわざ仲良くなろうとはしません。
ネガティブな気持ちにはネガティブが返ってくるように、法力も同じです。
ポジティブな気持ちで修法すれば、ネガティブすらもポジティブに変換されます。