真言宗 共生庵

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不便と便利

文明の進化のスピードは、加速し続けていると聞きました。

 

便利になるのは良いことです。

 

教育の現場も、最新技術を活用したカリキュラムになっているとか。

 

教科書はタブレットへと変化しつつあるそうです。

 

ある有識者曰く、本の文字を読むときに活動する脳の部位と、タブレットやパソコンの画面にある文字を読む脳の部位は、左右真逆になるそうです。

その為、様々な能力の発育と引き換えに、それ以外の脳の発育に大きな影響が出てくるため、ペーパーレス化に対して警鐘を鳴らしています。

 

ここではかなり抑えた表現をしていますが、この論を話す有識者は、相当辛辣な表現を用いていました。

 

私自身は専門家でもなく、これについて根拠となるデータを確認した訳ではありませんので、それが事実かどうかは定かではありません。

 

しかし、何故か納得してしまいました。

 

確かに画面で見るのと、本を読むのでは「何となく」感覚が異なります。

それは、脳の部位が違うからなのかと、妙な納得感。

 

便利も不便も、程々が良いのでしょう。

不便は人を強くし、便利は人を豊かにします。

 

古く、不便なものは切り捨てず、その中から強みを見出す。

そして、便利なものと両立させていく。

 

どんな存在にも強みが存在します。

また、不便と思っていた物も、ほんの少しの工夫で便利な物へと変化することもあります。

 

曼荼羅の世界と同じです。

様々の存在が、同列に存在している。

意味があってそこにいる。

 

密教は他を切り捨てないで、同じ土俵に引き入れます。

 

全部繋がっていますね。