真言宗 共生庵

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励み

ここのところ、毎日のように馬頭観音様と十一面観音様を拝んでいます。

そのおかげなのか、大概の事に耐性がついてきてるように感じます。

 

まだまだ修行不足の私は、法力を使うとグッタリと疲れます。

(法力と思っていますが、そもそも違うのかもしれませんが…)

しかし最近は、以前なら疲労で眠気が襲ってくるような場面でも「意外に楽」という感覚。

 

御加護頂けてるようです。

 

十一面観音様を拝んでいるときは、相変わらずお試しを受けているのですが、このように「おかげ」を感じることが出来ると励みになります。

カウンセリングのイメージ

枕経は、通常は亡くなって間もなく行われます。

それだけに生々しい空気が漂います。

 

オカルトになってしまうかもしれませんが、やはり「念」のようなものを感じます。

後悔や無念、未練などが感じられる。

 

そういうときは決まって声が出にくくなります。

読経しててもかなり苦しい。

 

動物の供養では、そういう経験はありません。

動物霊が怖いとか、たちが悪いとか云々言いますが、そんなことはありません。

 

あくまで私の感覚ですが、とてもシンプルでスッキリしたものです。

 

人はやはり「知性の高さ(感情の複雑さ)」があるせいなのか、念などが残りやすいように感じます。

 

単に読経したり、印を結んで真言を唱えるだけでなく、対話しながら供養します。

未練や後悔の元になるものを探り、それらの解決を計る。

カウンセリングのようなイメージですね。

 

身体という「器」が無くなるだけで、魂は存在しているのでしょう。

 

実際に、そういう過程を踏むと「空気」が和らぎます。

疲労も手間も大歓迎

本日は、今月2度目の歓喜天様の御縁日。

 

朝から本尊馬頭観音様を拝んで、そのあと十一面観音様を「十一面法」で供養。

それから歓喜天様に、特別な御法楽を捧げて供養しました。

 

トータルすると5時間くらいかかっています。

なかなかのボリュームで、心身の疲労が強烈です。

終わってから、暫くはダウンしていました。

 

しかし、仏様からは、喜んでくださっている空気が沢山感じられました。

 

歓喜天様の御縁日用に、大根と和菓子屋さんが作ったアンパン、生のあんこ、純米酒をお供えしました。

お供えしたときから、「お?テンション上がってらっしゃる?」という感覚。

 

喜んで頂けるなら、大変有難いと思います。

 

それらが、当庵の信者さんたちが幸せになることに繫がるなら、この疲労や手間は大歓迎。

正しい向き合い方

当庵の鎮守様は「伏見稲荷様」です。

 

密教的には「荼枳尼天(だきにてん)」と関わりが深いと言われています。

 

荼枳尼天は、仏教に帰依する前は人の死肉を食らっていたという逸話があり、禍々しい仏様というイメージが先行しています。

 

死肉を食らう悪鬼である荼枳尼天様は、大日如来(または釈迦如来)が大黒天となって現れて叱られたことで心を入れ替えました。

そうして、人の幸福のために尽力くださる有難い存在となられたという話があります。

 

イメージは怖い。

どれだけ心を入れ替えて、利他のために行動しても、過去の問題を持ち出され「今」が否定されます。

それが沢山の人に共有されることで、先日書いた「集合意識」というものに発展してしまいます。

 

正しい理解があってこそ、正しい向き合い方が成立すると考えています。

我々僧侶が私的な価値観だけでなく、正しい根拠のある情報を発信せねびならないでしょう。

 

ネットの情報は信憑性に疑問があるので、要注意ですしね。

全は1、1は全

密教の仏様はとにかく種類が多い。

 

菩薩の数は、それこそ無数に存在していらっしゃいます。

しかし、それはすべて大日如来の変化身。

元々は1つの存在です。

 

これこそが密教の良いところです。

あらゆる存在を排除せず、「繋がり」があると考えています。

 

大日如来は「真理」そのもの。

本来は姿も形もありません。

概念という言葉すら、そこには存在しない。

 

だからこそすべてを内包しています。

内包しているものを、1つ1つ細かく見ていくと「あ、これもあるよね」と、細分化されていきます。

 

それを神格化したのが、それぞれの仏様です。

例えば…真理の中の、ある1つの働きを神格化したのが「馬頭観音様」。

また別の働きを神格化したら「地蔵菩薩様」となる。

 

 

逆に細分化したものを、共通項で括っていくと、最終的に1つになります。

最終的に1つになったものは、「真理」であり大日如来

 

「全は1、1は全」ということになります。

宗教に留まらず、色んなジャンルに当てはまる言葉です。

 

お釈迦様が「気付いた真理」は、今に至るまで、時を経る度に「新たな発見」を繰り返してきました。

 

きっとまだ最終形態ではないのでしょう。

まだまだ進化の途上にいます。

秘伝の技

秘伝とされる技を教わったことがあります。

 

いわゆる「一子相伝の技」。

 

無論、それは世の中(ネットや書物)には絶対に出てきません。

すべて口伝で受け継がれていきます。

それも、極々限られた者に。

 

そういう技は「ものすごい力を持っている」か「ものすごく危険なもの」が殆どです。

 

読んで字の如く「一子」ですが、師と弟子も「親子」です。

我が子とは限りませんが、今時は師弟が実際の親子であることは珍しくありません。

 

私の師匠にも、嫡男がいらっしゃいます。

師匠が持つ一子相伝の技は、「嫡男にしか教えない」と仰っていました。

 

私が授かった技は、師匠からではなく別の僧侶から授かりました。

絶対に口外しないことを条件に。

なので、それは師匠にも話しませんし、この先も誰にも言わないし言えません。

誓いを破れば、私も色々被ってしまいます。

 

また、もう1つの条件がありました。

 

「使わないなら教えない」とのこと。

 

何度か書いてますが、これはとても大切。

興味、好奇心などで知るべきものではありません。

あくまで実践することが前提。

また、実践していないことは人に教えてはいけません。

仏事に限らず、「これはとても良いこと。やったことないけど。」などと言われても説得力は皆無です。

ただの無責任としか言いようがない。

鎮宅霊符神の御縁日

本日は鎮宅霊符神様の御縁日でした。

 

お供えするお酒は、毎月変えています。

主に中国酒にしていますが、紹興酒杏露酒桂花陳酒などを中心に、梅酒や柚子酒なども時々お供えします。

花や果実の香りの強いものが、きっとお好みなのだろうと考えています。

 

お茶は日本茶もお供えしますが、御縁日だけは中国茶にしています。

道教と縁が深いので、中国系のものが「好物」として挙げられています。

 

実際のところ、そういうのはあまり拘らなくても良いようです。

日本酒もお好きですし、和菓子も好まれます。

 

本日のお供えは桜餅にしましたが、良い空気が流れていました。