真言宗 共生庵

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大変厳しい

先日お迎えした歓喜天様と深い関係にある十一面観音様。

歓喜天様を拝むに当たり、十一面観音様も拝むのは大事な意味があります。

 

十一面観音様は、行者(僧侶)には厳しいで有名な仏様。

修法を行じた経験は無く、この度初めて拝みました。

 

感触としては…「大変厳しい」の一言です。

想像してた厳しさとは別の種類でした。

 

「なかなか感応してくださらないのかな?」と、イメージしてたのですが、割とすんなり感応してくださいました。

「良い感じ」と思ったのも束の間、「数々のお試し」ともいえる感覚に。

 

拝んでいて辛い。

これは、想像以上。

 

初めて拝むときは、通常より作法が増えるので少し長くなりますが、沢山の「お試し」を頂いたということもあって、かなり長くかかりました。

 

ひとまず、1000座拝むのが1つの目安。

本来は、歓喜天様の特殊な供養法を行なう為に課せられるもので、これにより「行者としての資質」を試されるとも言われます。

 

当庵ではその供養法をする予定はありませんが、十一面観音様に資質を磨いて頂きたく行なうこととしました。

 

自分で決めたこととはいえ…気が遠くなりそうですが、1000座を超えたときにどんな感覚になれるかを想像すると楽しみでもあります。

本当かどうか

今日は歓喜天様の御縁日。

 

全国的に認知されている歓喜天様の御縁日は1日と16日。

1日、16日は湛海という昔にいらっしゃった偉いお坊さんに深く関係している日。

この方が歓喜天様の信仰に多大な影響を及ぼした為に、両日が御縁日として周知されるに至りました。

 

当庵では2日、8日、15日の3日が歓喜天様の御縁日です。

 

1日、16日。

2日、8日、15日。

実際、どちらが本当の御縁日か。

今となっては、どちらも「本当の御縁日」でしょう。

 

いわゆる集合(共同)意識というやつです。

多くの人たちが、共通の意識や認識を持ち続けることで「現実」となります。

 

「常識」も同じようなものです。

多くの人にとっての集合意識が「常識」と形付けられます。

そして、それは「誰もが同じ理解をしているもの」と扱われます。

 

しかし、その「常識」は絶対正義では無いかもしれない。

「是か否か」は、本来的には簡単には決められないものです。

互いの言い分、その他の要素や場面、状況など色々組み合わせて考えて判断が必要です。

 

一方的に間違っていると否定したり、断罪することは大変残念な行いだと思います。

あるがまま

今日から新年度。

 

当庵の仏様もじっくり拝んで、新年度のご挨拶を致しました。

とはいえ、仏様には時間や空間などの概念は存在していません。

そういうことはどうでも良い。

 

分かっているのですが、どうしても拘ってしまいます。

つくづく修行不足です。

 

それでも、その事を自覚しつつ出来ることを粛々とやるだけです。

自分自身が「できている」「できていない」も、本来的には評価することは無意味。

 

どうであっても、もう既に自分は仏様の中にいますし、仏様も自分の中にいらっしゃいます。

隔てているのは自分の意識であって、現実には隔てはない。

 

だから悲観も慢心せずに、「あるがまま」で身を委ねるだけです。

 

しかし、それが一番難しいので、苦労しているのですが。

地と天

馬頭観音様の御眷属には「八大龍王様」がいらっしゃいます。

 

当庵にはお祀りしておりませんが、御縁の深い仏様です。

 

辰年ということもあり、「龍神ブーム」といっても過言ではないほど、色々な龍神様に縁の地が脚光を浴びているようです。

特別御朱印など精力的にお授けしている寺社も目に入ってきます。

 

龍神社には「天」の力を持つ龍神社と、「地」の力を持つ龍神社に分かれます。

 

辰年は「発達」の気運。

上昇運ですね。

そう考えると「地竜」と縁のある場所がいいのかもしれません。

 

大阪の龍神様といえば、住吉大社さんです。

今は埋め立てられていますが、住吉の海岸のすぐ近くに鎮座されており、海の龍神の元締め的な立ち位置。

 

住吉大社さんは少し特殊。

「地」と「天」の両方を持っています。

 

個人的には、住吉大社さんがそういうキャンペーンを行っていないのが有難い。

ただでさえ凄い数の参拝者です。

複数の真言

仏様にはそれぞれ「真言」があります。

真言が1種類とは限らず、中には6種類とか沢山の種類の真言がある仏様もいらっしゃいます。

 

そのように、複数の真言を持っている仏様。

どういうときにどれを唱えるとか、そういうのがハッキリしているものもあれば、中には不明なものもあります。

 

馬頭観音様は2種類とされています。

「オン アミリト ドハンバ ウンパッタ (ソワカ)」

「ノウマクサンマンダ ボダナン カンウン キャダヤ ハンジャ ソワタヤ ソワカ

 

上の短い真言が一般的だと思います。

下の少し長めの真言は、「馬頭法」を修しているときに使用します。

普段は唱えません。

 

また、真言の中には、ある程度の修行を終えたものしか授からない「秘伝」の真言もあります。

口伝で授かるもので、世の中には出回りません。

 

先日、当庵にいらっしゃる仏様の「秘伝の真言」を教わりました。

そのとき、その真言の意味を知って驚きましたが、その真言の方がご利益が出やすいとのこと。

 

音や言葉が持つ力は計り知れません。

お供え物の準備

今月もあと僅か。

お供え物を交換する準備をしていました。

 

来月から歓喜天様のお供え物が本格的な形になります。

甘い物、お酒(上等もの)など色々揃えました。

 

こういう時間は結構好きです。

「これ喜んでくださるかな?」と考えながら、予算の中で工夫しながら品物を選んでいきます。

 

今回は張り切ってしまい、予算を大幅にオーバーしました。

 

来月の馬頭観音様の御縁日は、当庵が開山して一周年になります。

この日も特別なお供え物をする予定です。

そのための予算を確保しとかないと。

きっとまた張り切って、オーバーするでしょうし。

聖者も俗っぽい

昨日は賓頭盧尊者について書きました。

 

因みに、真っ赤なお姿なのは「酒の飲み過ぎで身体が赤くなった」からといわれます。

阿羅漢まで登り詰めた人が俗っぽいのは、親しみが湧きます。

 

聖者や仏様にも俗っぽい話はいくつもあります。

観音様に恋をして結婚を申込まれた仏様や、お釈迦様に叱られた結果としてある物を持っているなど。

 

先日、当庵に来られた「歓喜天様」は、十一面観音様がパートナーと言われています。

 

歓喜天様は、象の頭に人の身体。

同じお姿の2体が、抱き合った形で描かれます。

 

実はこれ、一方が歓喜天様(夫)で、もう一方が十一面観音様(妻)です。

十一面観音様が歓喜天様のお姿に変化(へんげ)して抱き合っているのです。

 

どちらも同じお姿ですが、見分け方があります。

足を踏まれているのが歓喜天様で、踏んでいるのが十一面観音様。

 

確かに、位としても十一面観音様の方が格上なのですが、いわゆる「かかあ天下」というやつですね。

 

そのため、歓喜天様が「働かない(ご利益を示さない、または悪い行いをする)」ときは、パートナーである十一面観音様を拝めと言われます。

そうすると「発破」をかけてくださるそうです。

 

その様子を想像すると、我々に近い存在に思います。