形だけなぞるだけなら、猿でも出来ると弘法大師空海はおっしゃいました。
前々から書いていますが、形だけの僧侶にはなりたくない。
やるときは常に全力です。
拝んだあとは、疲労困憊でとてつもなく眠くなります。
日々の修法でさえも、同様です。
特に、それは通夜式や葬儀のあとは強烈に感じます。
この辺りは、あまり外から見てたら分かってもらえない部分です。
通夜式や葬儀も30〜40分くらいで終わりますし、端から見れば「拝んでいるだけ」に映ります。
実はそうではない。
目に見えない高次元の存在と対話しながら引導を授けるのですから、精神的にも体力的にも負担はかなりかかります。
祈祷も同様です。
目の前に高次元の存在をお呼び立てして、祈願をします。
「理(ことわり)」に作用する行いをする訳ですから、リスクも過分にあります。
分かってもらえないことが問題ではありません。
形をなぞるだけの僧侶がいてることが問題なのです。
魂を削る覚悟がないなら、密教僧にはなるべきではありません。
中途半端は危険しか生み出しません。