真言宗 共生庵

人 動物 ペット 共生 平等利益 祈祷 供養 共生庵(きょうしょうあん)無断転載禁止

ご利益を受け取るためには器が必要です。

 

一人一人、間違いなく器は持っていますが、大きさが異なるだけです。

要はそれの大きさを広げ、深くしていくのが大切です。

 

昨日の記事に書いたような、お下がりを求めて奪い合うのではなく他に譲る行為だったり、神仏に畏怖の念を持ち祈る行為だったり。

器を大きくする為の行動は沢山あります。

お経を唱えるのもその1つ。

お経は仏様が仰った言葉ですから、それを唱えることはとても善い行いです。

 

私がオススメするのは、もっと単純で、簡単。

 

ただ、その存在を認めて加護を実感するということです。

前にも書きましたが、仏様のご加護は常に降り注いでいます。

それを、受け手である我々が自覚するか無自覚かの違いだけです。

 

時に「どうして、こんなに頑張ってるのにご加護頂けないのか」と腐ってしまうこともあるかもしれません。

それはそれでいいと思います。

 

何も得られないと思ったことにも、実は得るものがあります。

護ってもらえなかったと思うことにも、必ず意味と価値があります。

 

物質的なことかもしれないし、気付き的なものかもしれないし、戒めなのかもしれない。

 

いつか、ご加護頂いてたということに気付ければいい。

 

気付けるということは、器が磨かれた証拠です。

五感を研ぎ澄まして感じてみると、沢山の気付きに溢れています。

 

ほんの少しの感覚の違いで、世界は輝きを増します。