ご利益を受け取るためには器が必要です。
一人一人、間違いなく器は持っていますが、大きさが異なるだけです。
要はそれの大きさを広げ、深くしていくのが大切です。
昨日の記事に書いたような、お下がりを求めて奪い合うのではなく他に譲る行為だったり、神仏に畏怖の念を持ち祈る行為だったり。
器を大きくする為の行動は沢山あります。
お経を唱えるのもその1つ。
お経は仏様が仰った言葉ですから、それを唱えることはとても善い行いです。
私がオススメするのは、もっと単純で、簡単。
ただ、その存在を認めて加護を実感するということです。
前にも書きましたが、仏様のご加護は常に降り注いでいます。
それを、受け手である我々が自覚するか無自覚かの違いだけです。
時に「どうして、こんなに頑張ってるのにご加護頂けないのか」と腐ってしまうこともあるかもしれません。
それはそれでいいと思います。
何も得られないと思ったことにも、実は得るものがあります。
護ってもらえなかったと思うことにも、必ず意味と価値があります。
物質的なことかもしれないし、気付き的なものかもしれないし、戒めなのかもしれない。
いつか、ご加護頂いてたということに気付ければいい。
気付けるということは、器が磨かれた証拠です。
五感を研ぎ澄まして感じてみると、沢山の気付きに溢れています。
ほんの少しの感覚の違いで、世界は輝きを増します。