お釈迦様は入滅(にゅうめつ)されましたが、弘法大師空海は入定。
入滅は、簡単に言うと「死」を指します。
あらゆる煩悩の火が消えて、肉体を離れて涅槃(ねはん=悟りの境地)に入ることをいいます。
入定も、「死」という意味で使われることがありますが、これは少し拡大解釈です。
入定は読んで字の如く「定(じょう)に入る」ということ。
「定」とは精神統一し、心が散乱しない状態のことです。
つまり座禅などで、もたらされるのような境地のこと。
入定とは、瞑想状態に入るということ。
弘法大師空海は高野山奥の院の御廟(ごびょう)で衆生の幸せを祈り、瞑想を続けているのです。
「死んだ」ということではなく、「生きている」扱い。
真言宗では特に「入滅」と「入定」は明確に違ったものと捉えています。
とはいえ、現実として「生物として生きているか」ということについては「有り得ません」という見解が主流。
「生きてはいるけど、我々の思う『生(せい)』の形ではない」ということです。
私も、弘法大師空海の肉体は恐らく朽ちて無くなっており、魂のみの状態になっていると考えています。
それでも、あの場にいらっしゃり、未だ瞑想を続けているということには疑いはありません。
科学的には勿論証明は難しい。
それでも、多くの方が信仰の対象とし、1000年以上祈りを捧げています。
それにより、入定はもうすでに真実と成っていると考えています。