勉強会に参加してきました。
沢山の僧侶が集まり、流派に伝わる「深秘」を学びます。
元々、僧侶になるための修行の際には「浅略」で学びます。
(当時の修行僧の殆どは、それが「浅略」であるなどとは思いもしていません)
なので、深秘を学ぶと「え?聞いてたことと違う」ということが沢山出てきます。
個人的に、これは結構なダメージを受けます。
また、「こういうことは、修行のときに伝えといた方がいいんじゃないの?」ということもあります。
けれど冷静に考えると、修行僧のときにこんな話されてもまったく理解出来なかったと思います。
かといって、ベテランであれば理解出来るのかというと、そうでもありません。
キャリアが二十年あろうが三十年あろうが、解らない人には解らないでしょう。
理解するためには、最低限求められる知識と価値観、宗教的理解など必要です。
でもそれは、当たり前の部分。
大変曖昧な表現になってしまいますが、やはり最終的には器というものになると思います。
器を持っている人は、やはり努力の量と質が違う。
知識欲ではいけないというのは、以前のブログにも書いてある通りです。
やるかやらないかの世界ですし、やるならそれなりにという世界です。
自分の修行だけではなく、信者様の祈願を取次ぐ立場なので責任も重大です。