最近は、仏壇の処分やお墓仕舞いについての相談が立て続いています。
あくまで私の考えでしかありませんが、先祖の存在を忘れないのであれば、そういうのは「現代的」と受け入れてもいいのではないかと思います。
既存の在り方が通用しないのであれば、新しい形を模索しなければなりません。
仏壇がなくても、お墓がなくても、「先祖を敬う」ということを続けてもらえるように説くのが「現代の僧侶の務め」なのではないかと考えています。
仏壇を置かない、お墓はいらない、というのは大きな流れになっています。
その内スタンダードとなり、仏壇やお墓の「実物」を持つ方は少数派となるのでないでしょうか。
従来に固執せず、柔軟に合わせる。
それこそを「心の広さ」と言えるのでは、と思います。