真言宗 共生庵

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痛覚の有無から

昨日、尊厳は人間以外にもあるといくことで話を締めました。

 

人間を含めて、あらゆる生き物は多種多様の生き物を糧に生存しています。

命は食物連鎖として繋がれていく。

これは曲げようのない真理です。

私も様々な命の上に生きています。

 

ただ、この食物連鎖に「娯楽」は必要ないと思っています。

 

「残酷焼き」などと銘打って、生きたままの蟹や伊勢海老などを、網の上に乗せて炭火で焼く食べ方はどうしても受け入れられない。

 

目の前で命が尽きるかそうでないかの違いだけで、結局は食べるのだから結果は同じになるのですが。

 

どうして焼かれ、死ぬまいと暴れる生き物を見て「喜べる」のかは理解出来ない。

 

魚などは痛覚がない。

あれは神経の反射で動いているだけなので、苦痛がないから大丈夫。

などの意見を聞きます。

 

しかしこれは今、見直されようとしています。

 

「魚類や甲殻類が痛覚を持っているか」というテーマで、様々な研究機関が水生生物の痛覚の有無を調べています。

ある日本の国立大学の研究から、やはり水生生物にも痛覚が存在することが証明されたと発表がありました。

また、海外でも同様に証明がされつつあります。

これによって、動物の福祉の観点から「生きたまま調理する」ということに議論が起こっているそうです。

 

つまり、活造りや残酷焼きなど、生きた状態から直接調理することが禁止される可能性もあるということ。

 

私自身は、正直どちらでも良いと思います。

問題は「頂く命に敬意があるかどうか」なのです。

 

私は生きたまま茹でたり焼いたりはしない。

しかし、それを誰かに押し付けたり、咎めることはありません。

ただ、それを「娯楽」にするのは理解出来ないだけです。

 

自らが生きる為に命を奪い食べる者は、あらゆる存在の命に「敬意」を持ってほしい。

そう願うだけなのです。