助けられたかもしれない命を助けられなかった過去に苦しんでいる方がいました。
保護した動物が残念な結末を迎えたのですが、それについてもう少し出来たらことがあったと後悔されていました。
これに関しては「たら」「れば」は沢山あって当然だと思います。
自分に原因を置いてしまうのは、自分に厳しい真面目な証拠でもあります。
何でも人のせいにする方もいますが、自分のせいにしてしまうのも、実は乱暴です。
恨みつらみや、後悔の元になってしまうからです。
そうならないためにも、「起こったことの事実を踏まえて」、未来に進むことが必要です。
今回の方の話では、まずは自分を許すこと。
自分を責め続けていつの間にか、心が疲れていました。
「過去ほ変えられないし、起こったことは変わらない。あのときの自分にはあぁするしかなかった。」と認めましょう。
「たら」「れば」は結果論でしかありません。
それは次に活かせばいい。
出来なかったことを懺悔して、その経験を活かせられたら感謝。
そして、助けられなかったなら、助けられなかったなりの関わりが出来ると思います。
供養のための行動だったり、埋葬して食物連鎖の流れに乗せたり、それに伴う懺悔と感謝だったり。
そのように、沢山の関わり方があります。