拝んだあとや、拝む前に法話や説法をすることがあります。
内容は、その法要の意味などを話したり、故人様に関してのこと、供養の本尊についてが中心です。
毎月のお参りでは、その時々のご家庭の悩みなどをお聞きすることが多い。
私、元は高野山をはじめとする真言宗の本山で勤めておりましたが、その時の法話は「弘法大師」や「(その本山の)本尊」についての功徳やおかげの話でした。
有難いことに、「とてもためになった」「有難い説法でした」と言われることが多かったです。
しかし、ご家庭に伺ってお話していると、そういう説法や法話ではなく、もっと生活に根ざした話を求められていると感じます。
そういうのはやっぱり僧侶の価値観や経験、宗教的解釈などが問われます。
そして、何より聞く姿勢が大切だと思います。
いわゆる傾聴です。
積極的に聞くことが出来るか。
話を聞かない人に、語ることはないでしょう。
そもそも、信用もしてもらえない。
信仰云々の前に、僧侶が信用して貰えないことには何もはじめられません。