仏様の中には色々な方がいらっしゃっいます。
特に個性豊かなのが「天部」に属する仏様です。
多くの天部の仏様は、元々は外国の神々です。
仏教に取り込まれ、仏様となりました。
その中に「他化自在天(たけじざいてん)」という仏様がいらっしゃいます。
仏様は神通力があり、望んだものを目の前に顕現させることが出来ます。
俗っぽい例えで言えば、「お腹減ったな。ご飯食べたいな。」と思えば、手のひらの上に食事を出すことが可能です。
天部の仏様は、まだまだ我々に近い心があるので欲があります。
その為、欲しいものは手のひらの上に作り出すことをされます。
他化自在天は「他人が作り出したもの(他が化するもの)を自在に奪う天部」です。
先程の例でいうと、お腹が減っても自分で食事を生み出すことはせず、他人の作った食事を奪って食べてしまいます。
何故、そんなことするのか。
そういう欲があるからですね。
そして、奪われた方はとても苦しみます。
「他人からこんなことされた!」と怒り、嫉妬します。
そんなことする存在が何故仏様なのか。
密教的に解釈すると、仏様は我々の内にも存在しています。
他化自在天は、まさに我々の心の内に存在する仏様です。
苦しみとは内的に起こる煩悩と、外的要因から生まれる煩悩に大まかに分けられます。
他化自在天は、外的要因から生まれる煩悩の象徴です。
何かしようとするときに、上手くいかない。
それで怒り、暴れ出す心は煩悩に支配されています。
結果、正しい判断が出来なくなったり、優しい気持ちが表現出来なくなっしまいます。
そういった、人の善行を妨げる存在です。
上手く付き合わないと、ずっと支配されてしまいます。
心が波立つとき、他化自在天が「何とかして、私を抑え込んでみなさい。」と問いかけています。
抑え込むことが出来たら、それは煩悩の支配からの開放といえます。
他化自在天はいわば「試し」を仕掛けているのです。
人が成長するために必要な試練を仕掛けてくる仏様というイメージ。
有難いですが、なかなか…厄介です。