修法の際、深く集中するために結構な時間をかけます。
自分という感覚が薄くなるくらい、集中出来れば及第点。
瞑想とは違い、修法は動作や詠唱があるので、集中をキープするのはなかなか難しいです。
ここ最近、集中力が続かないことが多くありました。
法友に相談したところ、瞑想用の音楽や音などを活用したらいいかも…と、言われたので試してみました。
結果…むしろ音や音楽が気になって余計に残念な状態となってしまいました。
「音」を「聞く」。
これは一般的には至極当たり前なこと。
分解して考えると、「聞く」というのは、「音がしたという現象」に対する「身体の反応」です。
その「反応」がどうしても消せず、耳に入った「音」を追ってしまいます。
また、その「音」を追った結果、煩悩が湧いてくる始末。
音楽や音を用いての瞑想は、人によっては集中出来るのかもしれません。
しかし、私の場合は向いていなかったようです。