「断捨離」という言葉が、少し前に流行って以来、「正しいこと」として未だ認知されています。
無論、間違ったことではないが、絶対的に正しいことでもありません。
弊害はあります。
拘らない、という意味では正しいのですが、捨てる行為自体が正しい訳ではないのです。
断捨離依存に陥ってる方の話を時々聞きます。
捨てないと落ち着かない。
捨てるものを常に探している。
人の物まで捨ててしまう。
ゴミ屋敷が出来てしまう過程と同じです。
強迫的に気持ちが働いています。
「照明器具も断捨離する」と捨ててしまい、暗闇で過ごす人がいらっしゃると。
おかしい、と断罪するつもりはありません。
しかし、手段と目的が逆転しているかもしれないと、自問はしてほしい。
心の余裕や、時間を生み出す為の断捨離。
それを「もっと」と求めた時点で、逆転は始まっています。
メリットがある行為は、必ずデメリットをはらんでいます。
手放しにメリットだけしかない、なんてことは有り得ません。
すべて、裏と表があるのです。
因みに、断捨離は仏教用語ではありません。
直接的ではありませんが、関連する言葉や修行はあります。