苦労して何かを成し遂げることは、「修行」と同等とされています。
無論、それは「善行」であることが条件です。
「善行」とは、分かりやすく言えば「道徳的に正しい行為」。
仏教の、「戒律に従った行い」にも重なるところは沢山あります。
「善行」は「良い結果」を生み出すためのポイント(点数)を得る行為。
「悪行」はその逆です。
自業自得という言葉が、その思想を象徴する言葉となっています。
「悪行」を成し遂げたところで、それは罪と悪業を積む以外にありません。
そして、必ず「悪い結果」が、本人または周囲の人、子孫や後世に対して待ち受けています。
「善行」とは、誰かの「幸せ」のために、ポジティブな行為をする。
例えば「誰かの幸せを祈る」ことも、単純な善行の一つです。
自分の時間を割いて、その祈りの為に時間を使うことは、とても尊い行為。
自分の時間を割いている訳ですから、他の人たちに比べて大変な思いをしている訳です。
「修行」は、滝に打たれたり、経を唱えたり、焼けた炭の上を歩くことだけを言うのではありません。
人が休んでいるとき、誰かが困っているとき、自分の時間を費やして何かを「その人の為に使う」ことが本当の「修行」なのかもしれません。