当庵では、修法と勤行は分けて行っています。
修法は、あくまで「個別」の供養です。
馬頭法で修法すれば、馬頭観音様の供養をしたということ。
同じように、地蔵法なら、お地蔵様の供養となります。
一応、修法の中には「対象となる仏様以外の仏様」を拝むパートもあります。
自坊でお祀りしている仏様などでも良いですし、お祀りしてないけど「拝みたい仏様」でも可です。
そのパートで、ご真言や般若心経などを、「任意で」お唱えします。
当庵を例として述べると、馬頭法の中で「お地蔵様」「鎮宅霊符神様」「般若菩薩様」「十一面観音様」「不動明王様」「毘沙門天様」「歓喜天様」のご真言など唱えます。
ここで、自坊の仏様全員のご真言をお唱えするので、これを以って「勤行」とする僧侶もいます。
当庵は、そうではなく、修法の後にお経やご真言を唱える「御法楽」を行い、それを「勤行」としています。
そこまで深い意味はないのですが、修法中で「勤行」としてしまうと、「ついででやっている」ように、私は感じてしまうからです。
効率的、合理的な物の見方で計ると、まったくの真逆。
でも、こういうのは効率的にすることでもないし、これこそが合理的であると思っています。