真言宗 共生庵

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清まると認知する

昨日は塗香について書きました。

 

あの話で、何が一番大事かというと「清まったと感じること」です。

お清めというのは、とにかくあらゆる宗教で重要な要素となります。

 

業というものは、消し去ることは出来ません。

しかし、それによる「障り」や「罪」そのものは清めることが出来るとされています。

 

懺悔というシステムは、まさにそれを実現するための第一歩。

まずは自らの罪を認め、それを悔いて、生き方を見直す。

ケーススタディーをしていくわけです。

しかし、犯してしまった罪は償わなければなりません。

そのために、何を差し出すかがとても大切です。

いわば、対価です。

 

祈願も、とどのつまり「欲求を通す」ことですから、対価が必要となります。

少し意味合いはズレますが、お布施は祈願することの業を流すためにも必要となります。

お布施を出したくないなら、それに代わる何かを対価として実行しなければなりません。

一生涯に渡り拝み続けるとか、供養碑を建てて祀るとか。

 

償うことにより、障りは自然に取り除かれます。

 

塗香を塗るとき、自己の業による障りが取り除かれていくつもりで塗ってみてください。

そして、自らが背負う前世からの罪が赦されていくことを感じてみてください。

 

このことを認知するだけで、大きく変わります。

これを習慣とするのも、1つの対価ともいえます。

 

色々やったのに、障りが出る場合もありますが、それは見当違いのことをしているからだと思います。

そういうときは、占い師や霊媒師などにすぐ頼るのではなく「信頼出来る方」に相談してください。