年に何度か、プライベートの場面で「困っている人」に関わることがあります。
例えば、財布を落としたとか、道に迷ったとか。
そういう「軽いもの(?)」だけではなく、事故や犯罪などの捜査協力など依頼されることがあります。
先日も目の前で、バイク単独の交通事故が起こったため、救急車の手配や通報と、事故を起こした方の介抱など行いました。
当初、伝え方が悪かったのか「私が事故を起こした」と思われ、救急車で運ばれた方は「被害者」とされてしまいました。
誤解を解くのに大変な時間を要し、こんなことになるなら関わるべきではないなと苛立ちを隠せませんでした。
自分から関わっておいて、苛立つなどなんと傲慢なことか…。
自分に対して更に苛立ち…。
結局はまた、自分から「そういう場面」に関わることを引き寄せるのかもしれません。
きっと、人の役に立つことを続けなければならないという、仏様からのメッセージなのだと思います。