真言宗 共生庵

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こだわらないということ

中道(ちゅうどう)という考えがあります。

 

「両極端に偏らない」という意味で使われることが多いと感じます。

ちょうど真ん中、というイメージですね。

 

間違いではないかもしれませんが、これには少し違和感があります。

 

どちらかというと「両極端にとらわれない」の方がしっくりきます。

 

それは、「こだわりをなくして、バランスを取る」ということと考えています。

 

同じ太さで、質量に偏りのない30センチの棒を支えるには、ちょうど真ん中の15センチの部分に支点をおきます。

 

しかし、先が細くて次第に太くなる30センチの棒を支えるのには、真ん中15センチに支点をおいては傾いてしまいます。

 

形や状況によって、真ん中では逆に傾いてしまいます。

 

どちらにも傾かない、バランスの取れた場所を得るためには「こだわり」は邪魔になってしまいます。

 

「〜でないといけない」「〜であるべき」

「〜ねばならない」

 

こだわりは、執着と言い直せます。

とらわれない状態になれば楽になるのでしょうが、なかなか難しいです。

 

若い頃に、ある高僧に諭されたことがあります。

私が「動植物は、何故人と同じように丁寧に祈られないのか?」と疑問を投げ掛けたときに「あなたが執着してるからです」と返されました。

 

これは今も考え続けています。

答えが見付からない。

 

有り難いことに、この一言をきっかけに、常に「執着」のキーワードは気にするようになりました。

 

まだまだ答えを出すには時間が掛かりそうです。